北風に千鳥格子

なりゆきで始まった超私的ブログ。更新凍結。近日ネットの藻屑と消えます

Sunday, February 27, 2005

かぜっぴきの日。

 あー、体調を崩して昨日、一昨日とほとんど何もせずにすごしてしまった。今はとりあえず熱は下がったのだけど、なんか背中のあたりが敏感肌っつーかひりひりする感じで気持ち悪い。咳もまだ出るし。「今の自分は寒天培地並に細菌を培養している状態だな」とかまた人を選ぶジョークを考えて一人ほくそえんでみたり。暗いな。

 で、ひさしぶりに長いこと家にいることになったわけだ。しばらく寝込んで、のどが渇いたので台所のほうに行くと、リビングでウチのプチNEATな兄(たまに就活、たまにバイト)が例の薄いPS2でドラクエ8をプレイ中であった。あれ?まてよ?PS2がこの家にあるところなんて初めて見たぞ?

 僕「ドラクエ8買ったんだ。てかPS2も」
 NEAT兄「あれ、言ってなかったっけ?

 この「言ってなかったっけ?」はNEAT兄が聞かれると都合の悪いことや秘密にしていたことを突っ込まれた時によく使う言葉である。ごまかせてないっつーの。職にも就けてないくせにPS2って!こいつ本格的にNEATみたいになってきやがった・・・僕は早く内定もらおうっと。そしてまじめに働こう。と熱で定まらない頭で決心したのであった。
 

Thursday, February 24, 2005

「働く意味」ってなにさ?

 まあ今僕は世に言う「就職活動」というものをしているわけだけど、「企業研究」や「自己分析」に次いで良くいわれることが「自分にとって働くことの意味を考えろ」というようなことだ。
 けど僕のような世間知らずにはこれが良くわからない。働くことの意味なんていちいち考えるようなことか?
 「仕事」とか「働く」とは結局誰かがしてほしいこと、手に入れたいものをその人の代わりに準備して、その見返りにお金、もしくは自分が生きるために必要なものをもらうことだ。それ以上でもそれ以下でもないはずではないか? 
 いや、もちろんその「職業」の意味は当然考えるべきだ。なぜその職業があるのか、どんなことが求められているのか、把握していなければ話にならない。そうしないとなかなかお客は満足しない、つまり見返りも手に入らない。そう、仕事に一番重要なものは客の要求を満たすことである。自分の満足だけでは仕事にはならない。「好きなことを仕事にしたい」というキャッチコピーのジレンマである。書いてて思うけどなんかレベルの低い話だなあ。飽きてきた。

 では、なぜこんなことが問題になるのか?
 日本のようなモノの豊かな国に住む人は、なんだかんだいって生きることそれ自体に余裕があるからではなかろうか。
生きるためにそんなに必死にならなくても良い。一日のほとんどを狩りや農耕に使う必要はない。生命を維持する目的でその生きる時間の大部分を使わなくても良いのである。生きていくだけのお金がもらえる仕事なんてのはたくさんあって、何をやったって生きていける。だからこそ、退屈な仕事はしたくないと思う。こんなこと意味があるのか?と疑問に思う仕事はしたくない。やってて面白い仕事がよい。生きがいを感じれる仕事がいい。と、だんだん個人の人生の目標が仕事によって決まるような方向にずれていってしまう。人生は結局目的がなければやってらんないほどに退屈なものなのだ。

 勘違いしてはいけない。仕事は生きていくための手段であり、人生の目標なんてのは生きていけたその次に考えるべき問題だ。人生の目的なんてのは個人的なものであり、それが自分以外に認められるとは限らない。仕事は認められなくてはお金がもらえないのだ。でも、そういっちゃうと夢がないとか思われちゃうんだろうな。別に夢がないことを言ってるつもりはないんだけど。

 まあ当然このギャップがはげしくみられるのは学術、芸術部門だろう。この二つはどっちも自分の見る世界が美しければそれで価値がある、という世界だ(と思う)。学術の場合は金がかかるわりにそれが果たしてなんの役に立つかわからないことが多い。研究費を得るために研究者は頭をひねっていかにこの研究が人間社会に利益をもたらすかをプレゼンしなければならない。認められなければならない。もっと頭を使いたいのは別のことなのにもかかわらず、である。芸術もこれ、認められなければまったくお金にならない。お金にならないまま自分の美学の中に真理を見出して死んでいくのも勝手(死後に評価される芸術家とか理論とか)。それもまたいい人生じゃないか?

 「面白い仕事がしたい」「人のためになる仕事がしたい」とか、全然間違ってないと思う。ただ、自分がどう生きていきたいか、という抽象的な想いと、それが仕事を通して現実のものになるかというのは微妙に絶妙な問題だよなあ、とも思うのだ。うまくこう、需要と供給がぴたっと合えばうまくいくし、ダメなときは全然ダメだろう。人生の意味、っつっても僕には暇つぶし程度の意味しかない。仕事がちょっとでも面白さを感じられたらそれでいい。少しくらいお金のない生活でも仕事が面白くなくても、世界に他に面白いことはたくさんある。仕事だろーと何だろーと、死ぬまでヒマつぶせればそれで幸せで、ヒマつぶせなくなったら死ぬだけだ。

 あ、この間行った説明会で重役の方が、「うちはたしかに○○(某大企業)の関連会社ですが、下請けだと思ってもらっては困ります。わが社の社員の技術力は平均的に見ても本社の社員より勝っていると考えておりますし、わが社なくして○○の経営は成り立ちません」とか言い切っていた。本当かどうかはともかく、こうして仕事に誇りを持っているってカッコいいよなあ。「自分らこそが世界が認める質を作り出せる」みたいな。どうせ仕事するんならそういう人になりたい。誇りを持って金がもらえるなんて最高だ。

Monday, February 21, 2005

意味なしセリフ。







「つまり、恋愛という問題に関しては2次元にモデル化することで厳密解が得られる、とでもおっしゃるのですか?ご冗談を!」





Sunday, February 20, 2005

Q.E.D20巻を読む。

 もともと地味なまんがだったのが最近さらに地味な話になってきた「Q.E.D」・・・という感じだけど、この20巻ではいきなりループ殺人ですよ!やってくれるぜ!
 説明すると、たとえば死亡時刻のはっきりしない被害者A、B、Cについて、A殺害の容疑はBにかかり、B殺害の容疑はCにかかり、C殺害の容疑はAにかかっているような状態。ぶっちゃけこの手の話は誰かが一度「死んだ振り」をしているのは自明なんだけど、まあそこにしっかりストーリィ付けされたりハッタリがきかされることで物語は面白くなるんである。「証明はすべて・・・自明であるφから始まる」だって。かー。犯人の思想も刹那的でよい。

 そして2つ目のお話は探偵同好会の二度目の登場。あいかわらず江成さん一人強いサークルなんだけど、なんでこいつらここまでベクトル違うのに一緒にいられるんだ?とか思った。三角関係か?残りの二人は実はマゾで江成さんに虐げられたいとか、もしくは何かの弱みを握られてるとか?あ、なるほど!そういう血筋ってことなんだな、というところまで深読みできるお話でした。うむうむ。

 つーか、しかしこの日記本当に自分の思ったことを書き留めとくだけのものだな。「Q.E.D」読んでない人にはなんのことやらさっぱりじゃん。まあ、公開なんぞせず自分の内面を見つめるという意味で日記の本質をついてるといえるわけだけど。そうそう、このブログは一日から二日おきにつけることにしました。
 でもほんとにこんなん読んで面白いですか?(この時点でこのブログを読むような人は三人しかいない。)まあいいんですけど。

 次回あたり郵政民営化とかイラク戦争とかを論じたほうがいいんだろーか。社会派をめざしたりして。民主主義と皇室のあり方とか。うっわどうでもいいな。

Friday, February 18, 2005

ロケットマン終わっちゃった。

 ついに「ロケットマン」最終巻発売ィイーーー!!当然「Q.E.D」20巻も購入。
 そう、今日はまんがの話なのだ。

 やーなかなか面白かった!最近まんが読んでても、こうバシッと気持ちよく終わる作品てのはなかなかないと思う。特に連載ものだと、下手に人気が出ちゃったためにだらだら続いて結局盛り上がりも中途半端なままいつのまにか終わってた、というのはよくある話。「あ、やっと終わったの?」みたいな。
 その点「ロケットマン」は非常にちょうどいい長さだった。まあ気持ちよく終わりすぎてハリウッド映画並みの期待裏切らなさっぷりだったけど、いーんです!それでいーんです!面白いんだから。てか、自分で言ってて思ったけどこのまんが、ほんとにハリウッド映画っぽいかも。時代がかった台詞回しとか、かなり王道なストーリィとか。王道過ぎていまどきないから逆に面白く感じたのかも?そういえば僕も結構ありきたりに弱いからなあ。

 困るのは人に内容を説明するときである。こないだ先輩にこの「ロケットマン」の筋を説明しようとしたことがあった。そのときイチから順に「日本の高校生が情報組織のエージェントに出会って、そいつの怪我を治したのがきっかけでそいつの手伝いをするようになったり、その高校生は高校生で幼いころの記憶がなかったり・・」と説明していったら、自分でも「なんかよくある話で面白くなさそう」と思ってしまった。相手の反応もやっぱり薄かった。
 「報酬でロケットを作っているエージェント・Rと日本の高校生が、大量死事件を解決したりクローン人間を探したり東西冷戦の本当の原因につきあたったりアンコールワットで刀と銃で決闘したりする話。」とかくらい言っとけば面白そうですかね?どうですか?やっぱありがちですかそうですか。
 
 なんだかんだ、この「ロケットマン(A Boy Meets Rocketman)」はかなりお気に入り。タイトルもいいし。

 あー、一日に書きすぎかなあ。「Q.E.D」の話は明日書こうっと。
 

Thursday, February 17, 2005

タイトルを考える。

 サイトをいつか作ろうと思っていた、と昨日書いたわけだけど、なかなか作らなかった理由の一つに「サイトの名前が決まらない」というのがある。
 どうせ公開するにしても見るのはほぼ内輪の人間だけである。だから特に人目を引くようなタイトルをつける必要はないっちゃないのだが、なぜか色々とこだわってしまう。
 まずありきたりなのはやだ。~の日記、とか。かといって狙いすぎも恥ずかしい。ゲーテの一節とかから引っ張ってきてみた日にゃあ二度と更新したくなくなる。いやゲーテとか別に読まないけど。しかも狙ったところでタイトルなんてものは最初は目を引いたとしても、すぐ日常に埋没してしまい単なる記号と化すものである。つまり飽きる。
 あまり深い意味のないものが良い。でもなんか「意味ありげ」で、ん?と注意を引くものが最高である。読んで、つぶやいてなんとなく響きのいいもの、というのも重要。言葉は何度も使ってなじむものだし。変なものがなじむと後々大変である。僕には多少変わったあだ名があるのだけど、それが一部でとてもよくなじんでしまい、否・・・ッ、なじみすぎたために、その一部を通して僕と初めて知り合う人は必ず戸惑うようである。「いや、適当に呼んでもらっていいですよ」とかしか言えない自分は非常に気が利かない。鬱になる。

 話がそれた。色々思うことあれど、しかし今回は企画から5分でブログ設立ということもあり、さっさとタイトルをつけなくてはならなくなった。大学からの帰りの1時間あまり色々と考えたのだがなかなかこれは、というのがない。家の最寄の駅に降り立ったとき、吹き付ける風に「寒っ」と首をすくめた僕の前を非常にきれいなお姉さんが通りかかってその人が着ていたコートが千鳥格子だったのでその瞬間「あ、これでいいや」と。まあそういうストーリィをでっち上げることも大事だよな、と今思った。
 まあパッとうかんで「これでいいや」、というのは本当。多分そのうち飽きて別のタイトルにすると思う。つまり「意味ありげ」への戦いはこれからも続くのです。

Tuesday, February 15, 2005

うっかりブログの世界に迷い込む。

そのうち自分のサイトでも作ろう、となんとなく思っていて、まあ思っているだけが幸せともいえたのだけど、研究室の某氏のすすめにより5分でブログ開始という運びになってしまった。まあ三日坊主にならないようにがんばります。誰もついていけない内省クレイジィなブログにしたいです。