北風に千鳥格子

なりゆきで始まった超私的ブログ。更新凍結。近日ネットの藻屑と消えます

Friday, November 25, 2005

フォーチュン・クッキー・モンスター。

テレビで小倉優子の舌足らずな発声を聞いたあと、そのCMで松浦亜弥のハキハキしたしゃべりを聞いてなぜかほっとしたojiです。

血液型診断につづいて、占いの話。こないだテレビで「血液型占い」ってのがやっててのけぞりました。血液型って性格診断だけじゃないのか!占いってなにさ!て感じ。

星占いとか手相なんかは、昔からの言い伝えとか、信じられていたことが体系化されていて、それを根拠にしているであろうことが想像される。「あなたの星座と火星が重なったときはあまりよくないことが起きる」とか。「手の平のこの線が消えかかっていると肝臓が悪い」とか。それはもう、言われたら「はあ、そういうものなんですか」と返すほかない。星座と人の人生が密接なかかわりを持つと本気で考えられていた時代に存在した理屈だからだ。そう信じてる人に対して反論のしようもない。

でもここへ来て血液型ですよ。この西洋合理主義の時代に血液型を使って新たな占いを作っているやつが存在するのである。血液型と人生のラッキィに相関がある?それを現代に本気で考えていると?血液型と膨大なサンプルを元に理論を作り上げたとでも言うのだろうか。それはねえだろうな。まったくのナンセンス。しかも発想が安直で痛ましいことこの上ない。

ときどき思い出したように占いが流行ることがある。最近ではホソキカズコとか。別に僕は占いをする人も信じる人も否定するつもりはない。正しいと言うことはないけど、まあそういう考え方もあるんだろう、くらい。というのも高安先生がフラクタルの本で、占いとフラクタルの感覚の関わりを述べていた部分を読んでからだ。フラクタルと言うのは、まあ詳しい解説はぐぐってもらうとして、乱暴に言えば「どこでもいいからある一部分だけとりだした形が全体的に見たときの形と同じ図形」のこと。

占いとどう関わるかというと、古来の人は星の動きや甲羅の割れ方なんかで未来の世界を予測しようとした。これはつまり、そういったものの動きがそのまま我々の身近な世界を表していると考えたから。天体の大きな動きに我々の小さな世界を見る、手相や甲羅なんかの小さなものがそれより大きな人間単位の世界を表す。これはいわばフラクタル的に世界を見ているということである。現代の我々は現象を細かい要素に分解し、再構成していくような理解の仕方をする。古来の人々はそれとは異なり、別のスケールの世界に自分たちのスケールの法則を見出すフラクタル的な世界観を持っていたのではないか。とかなんとか。

これが妙に説得力があったので、それ以来占いに寛容になったのであった。自動車やテレビの仕組みを知らなくても使いこなせる人が大半の現代において、人生についても合理的思考や判断をしようなんてそっちのほうがマニアックである。星の暦に自らの生を重ね、そのように世界を見ることもまた真。よいよい、ほっほっほ(何キャラ?)。

てか、占いがフラクタルなら多少占いの判断がはずれてもなんか納得がいくな。もし誰か一人や二人の人生について間違ってても、そんなんマクロなスケールで見て繰り込める程度の揺らぎに過ぎんのですよ。しかし我々にとってはたった一つの人生。あまり重要なシーンで占いに頼らんほうがいいというわけですな。

僕が嫌いな言葉の一つに「運命」って言うのがありまして、これはもう「努力」と同じくらい嫌いなんですが、・・・眠いんでそれはまたいつか書きます。

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